先日、割と近所に住む父と久しぶりに会った。
相変わらず電話に出ない父は、ちゃんと家に居てリュックを持って準備万端で出てくる。
歳の割に元気で丈夫そうな体で、自転車を漕ぐが、数年前から糖尿病を患っている。
母とは別れて、私が20代の時には、たしか高円寺のアパートに住んでいた。
たまに訪ねてみたが、父はそこに居たことが居なかった。
そういう時は散らかし放題の部屋に、手紙を置いて、帰ってくる。
とにかく、生きていてくれているか、父が幸せか、消息を知りたかった。
父は優しすぎる。
優しいが故に、仕事で事故が起きた時に一人で責任をとってしまった。
迷惑をかけた当の本人は、19歳で実家に逃げるように帰ってしまった。
『優しすぎても、幸せになれない。』
母がポロッと言った一言が、父の境遇と重なり、父が心配だった。
父親は色々な仕事をしていたようだ。
だから、いつも居なかった。
アパートには、ヘルメットが置いてあったので、工事現場などに立ったりしているのかと思い、どうしているか、父と話したかった。
母いわく、父は宮崎出身で南国気質なのか、あまり携帯を見ない、自由人らしい。昔から連絡がとれたり、とれなかったりする父だが、だいぶ時が経った頃、母から急に電話があり、父の元に向かって欲しいと頼まれた。
その場所が驚きで、震災後数年経った東北だった。
ある東北の病院から母に電話があり、父(母にとっては、元夫)が職場で倒れ危篤状態だ!と告げられたそうだ。
聞くと東日本大震災後に復興支援で現地で働いていたとの事で、父らしい優しさと行動力が何だか誇らしいと思ったのだが、そんな最中危篤だなんて、なんて事だと焦った。
涙が止まらない。
急いで電車で向かった。
電車の中でも涙が溢れてくるので、どうしたんだ?と思われていたと思う。
つづく
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